こう、なんていったものか、自由に書き出せる場所があるのは誰に見せるわけでもないけれど発散には都合がいいと感じる。




昔を振り返っています。




このブログ自体は彼女と親友に明かしてるからロクなことは書かないと自重気味に再確認しながらも、筆をとります。




特に読む価値なんざありゃしないものだけれども




過去を振り返っています。

主に恋愛的な意味での。




今思うと「こういうところ努力していたんじゃないかな?」とか見えてくるもので


死んだわけでもないのに感謝やお礼の言葉を伝えておけばよかったと思いました。



それが過信であるならばなんと恥ずかしいことかという事例ですが。




お互いに向き合っていなかったんだとは思います。




例えば、性善説っていうものがありまして。

残念ながら確証はないのですが、僕の認識として、この言葉は「世の中の人は全て善性を持ち、それを優先させて生きている」というふうに僕は認識しています。



つまり、そんなこたぁねぇ



最近ニュースで見ましたが、書類に関しては性善説を信じていたからこそ、見直す必要ができてしまった事例とかも出ましたね。



でもそもそも、車の運転とかで免許の有無に関わらずよく聞く「かもしれない運転」という言葉。



これの対義語は「だろう運転」だそうです。

今はもうぐぐってください。雑に始めたブログで解説するとかストレッサーになりうることはしません。



この「だろう運転」ですが、加害者側と被害者側が同時に行わなければ成立しません。


片側が「かもしれない運転」だった場合、事故なんて到底起きないからです。



「だろう運転」は性善説を信じる人の行動

「かもしれない運転」は性悪説を唱える行動




やはり、世の中を全て悪いと信じるのが一番実被害がないと政府が言っている。




このことから、彼女たちが努力してくれていたことも、下手をすれば僕に関係のないことだったのかもしれません。



そう考えれば実被害は少なくなるのでしょう。



しかし、卑屈で矮小な僕にも芝居をやっていた経験上承認欲求はあります。



そういった行動ですら僕のためであってほしいと考えてしまいます。



人に没することのできない僕なので、僕に没してほしいなどと大層なことは言えません。



もし、過去に戻ったり、再開することがあるならば、関係を元に戻したいとは思いませんが(というか資格がありませんが)



感謝の意を伝え、認識しなかった謝罪くらいはせめて行いたいと考えます。



まぁ正直、自業自得ではありますが怖いので会いたくはないのですが……




以上