龍之介の信心
間もなく社会という名の天井のないエコールームに放り投げられるタイミングです。
怖いけれど、確定してないことには不安を抱くという矛盾がヤマアラシ。
だからこそ、昔を振り返って現実逃避に繰り出してみています。
基本的に僕らは熱く、社会的なテーマの上で芝居をすることが多かった。
というか、演出家がそういうのが好みのやつであり、さらに、僕が友達少ないこともあり彼とばっかり芝居してたことが原因なんですが……
それを振り返ってみて思うことがありました。
僕らは世に溢れているような当たり前の人を描いています。
そうしないと、共感も得られなければノンフィクションたりえない。
それは、演劇じゃない方が向いてるのではないかとすら僕は考えてしまいます。
そんな人たちを描いたものを観て「熱い」と評価されるということは、世の中にいる人は皆「熱い」を内包しているのだと思います。
それが表に出ないのは、その「熱さ」は社会からは受け入れ難いからです。
出してしまったら最期、我々の描いた世界のようにほとんどの人が幸せになれず、誰かが怪我して、きっとニュースで報道されます。
「あるある」として。
僕自身の話ですが、新しいことを始めるのは怖いです。物事を継続することが苦手でもあれば、保守的で逮捕されたりすることを恐れています。
そんな僕にでも理不尽に思うことや許せないことから、後ろめたいことなんて沢山あります。人様には言えません。
そんな僕を含めた我々捕まえて「熱い」というならば、きっと、あなたの周りの人間を見てもあなたは同じ評価を下すことが可能だと思います。
人はそれぞれの主観で辛い物事に向き合ってます。
それは、別の人からしたら他愛もない問題かもしれませんが、当人としては頭を抱えて必死に戦わなければならない問題なんです。
その様はきっと「熱い」んだと思います。
何かを諦めて、達観して、引きこもった人がいたとしたら
自身の持っていた理想と現実とのギャップに苦しんでいるんだと思います。
理想的であって欲しかったが、その実は辛い現実で、地獄とわかっているから踏み出せない。
そんな葛藤だって、きっと、「熱い」
世の中は「熱い」話で出来ている。